傷そのものは閉じているのに、お腹の奥が突っ張る、反らすと引きつれる、腕が上がりにくい——そんな違和感が術後何年も残ることがあります。これは「気のせい」ではなく、瘢痕と周囲の組織が滑り合えなくなるという構造的な変化として説明できる現象です。この記事では、腹部の癒着や手術痕に対する手技療法について、研究上どこまで報告されているのかを、対象者数などの限界も含めて整理していきます。
傷口は閉じたのに引きつれが残る——術後の身体で起きていること
皮膚の表面がきれいに閉じることと、その下の層が元のように滑り合えることは、別の話です。手術では皮膚・脂肪・筋膜・筋肉・腹膜といった何層もの組織を通過します。回復の過程では、切られた部分をつなぐためにコラーゲン線維が新しく作られますが、この線維は元の組織のように整列した方向性を持っておらず、層と層をまたいで架橋するように付着していくことがあります。
その結果として起こるのが、筋膜の滑走性(層のあいだの滑りやすさ)の低下です。本来なら呼吸のたびに数ミリから数センチ単位で互いにずれていた層が、一部だけ「縫い留められた」ような状態になります。
- 開腹手術後の痛みとして、傷から離れた腰や股関節の付け根に突っ張りを感じる
- 帝王切開の傷あとの上側だけ感覚が鈍く、下腹部がぽこっと前に出る感じが残る
- 深呼吸や伸びをしたときにだけ引きつれが出る
- 乳がん手術後、腋の下に紐が張ったような線状の硬さがあり腕が挙げにくい(腋窩ウェブ症候群として知られる状態)
こうした訴えは、画像検査で明らかな異常が出ないことも多く、「気にしすぎ」と片づけられてしまいがちです。けれど、組織の滑りという現象は画像で捉えにくいだけで、存在しないわけではありません。施術の現場では、術後数年、ときに十数年経ってから「そういえばあの手術以降なんです」と気づかれる方に出会うことがあります。なお、強い痛み・発熱・傷の赤みや腫れ・排便の異常などがある場合は、自己判断せず医療機関にご相談ください。
癒着はなぜ離れた場所の痛みや動きにくさを生むのか(瘢痕・筋膜・内臓の連続性)
身体の内側は、膜で区切られながら同時につながっています。この二重性を理解すると、傷あとから離れた場所に症状が出る理由が見えてきます。
漿膜という「滑る仕組み」
腹腔内の臓器は腹膜という漿膜に包まれ、わずかな漿液を介して互いに滑り合っています。関節の軟骨と滑液の関係に近い構造です。漿液は潤滑だけでなく免疫の役割も担っており、手術・感染・外傷のあとには量や粘り気が変化することが知られています。この変化が、臓器同士や臓器と腹壁が貼りつく連結制限(癒着)の背景になります。
臓器は横隔膜の上下運動によって一日中受動的に動かされています。横隔膜の動きは一日に数万回に及び、その都度すべての内臓がわずかに移動します。どこか一点が貼りついていれば、その回転の軸がずれ、周囲の組織に余分な張力がかかり続けることになります。
張力は骨格へも伝わる
筋膜は全身で連続しているため、局所の張力は遠くへ伝わります。たとえば腹部前面の瘢痕が硬さを持つと、腹壁から胸郭下部、さらに横隔膜を介して腰椎前面へと引きが及ぶ経路が考えられます。横隔膜は頸部から出る横隔神経の支配を受けるため、横隔膜周囲の緊張が肩や首の違和感と結びつくことも理論上は説明がつきます。
- 下腹部の瘢痕 → 腹壁の伸びにくさ → 反る動作で腰部へ負担が集中
- 腸間膜根の制限 → 腸管の動きの偏り → 術後の便通の変化
- 腋窩の線状硬化 → 上肢へ向かう筋膜の張り → 肩の挙上制限
これまで診てきた範囲では、帝王切開の傷あとのケアを一度も受けていない方で、傷そのものより「その上下の層の動きにくさ」が残っている印象を受けることがあります。あくまで施術の現場で感じている傾向であり、医学的に確立した因果ではありません。
腹部の癒着と手術痕への手技療法は研究で何が報告されているか
ここが読者の方の一番知りたいところだと思います。結論から言えば、報告は存在します。ただし「どんな人を対象に、何が観察されたのか」を押さえておくことが大切です。
軟部組織モビライゼーションに関する報告
腹部の癒着や手術痕に対して手技で組織を動員する軟部組織モビライゼーションについて、システマティックレビューおよび単一事例研究では、痛み・可動性の制限・機能面の改善と関連したとする報告があります。対象となっているのは、主に開腹手術などを受けたあとに腹部の症状や動きにくさが残っている方々です。
また、瘢痕への徒手療法をまとめたレビューでは、単一の手技ではなく複数の手技を組み合わせたアプローチが有用とされています。瘢痕 徒手療法という領域全体として、こうした手技が不快感や動きづらさの軽減につながる可能性が示されている、という整理になります。
乳がん術後の腋窩ウェブ症候群について
乳がん手術後の腋窩ウェブ症候群 リハビリの分野では、理学療法のプロトコルを検討したランダム化比較試験も報告されています。手技による組織へのアプローチや運動療法を組み合わせたプログラムが検討されてきた領域です。
読むときに押さえたい限界
- 対象者数が限られる研究が多く、効果の大きさを一般化しにくい
- 単一事例研究は因果の証明には向かない(観察の記録という位置づけ)
- 手技の内容・時間・回数が研究間で統一されていない
- 術式・経過年数・体格など背景条件の違いが大きい
つまり「報告はあるが、まだ研究段階にある領域」と捉えるのが誠実な読み方です。数字で効果を約束できる段階ではありません。それでも、引きつれを訴える方に対して手技というアプローチを検討する余地があること自体は、臨床にとって意味のある情報だと考えています。
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オステオパシーは術後の身体をどう読むか——整体師としての視点
茨城県龍ケ崎市で「すーさん夫婦の龍ケ崎整体院」を営むなかで、術後の引きつれを相談される機会は少なくありません。私たちが施術の前にまず確かめるのは、傷あとそのものの状態だけではなく、その周囲の層がどの方向に動きにくいかです。
オステオパシーでは、組織の制限を「動きが止まっている場所」として捉えます。バラルの内臓的な見方では、臓器は横隔膜に動かされる受動的な動き(可動力)と、固有の微細な動き(自動力)の二つを持つとされ、癒着があるとまず微細な動きが落ち、続いて大きな動きが制限されていくと説明されます。この考え方に沿えば、手技の目的は「はがす」ことではなく、止まっていた方向へ動きが再び始まるきっかけをつくることになります。身体に強制はしません。
実際に確認していく順序としては、次のような視点を持ちます。
- 傷あとを中心に、どの方向の皮膚・筋膜の滑りが乏しいか
- 横隔膜の上下運動に左右差があるか、呼吸がどこで止まるか
- 骨盤・腰椎・胸郭が、その張力を受けてどこで代償しているか
- 腕の挙上や体幹の反り・捻りで、どの動作が引きつれを再現するか
手技は、強い圧で押し込むものではなく、組織の層に手を沿わせて動きの方向を探りながら行います。所要は約45分で、痛いところだけで終わらせず、関係していると考えられる部位もあわせて確認していく進め方です。変化を感じる方もいますが、経過には個人差があり、回数と結果を結びつける約束はできません。
また、手術から間もない時期や、傷の状態に不安がある時期は、必ず主治医の判断を優先してください。瘢痕に触れてよい時期の見きわめは医療機関の領域です。龍ケ崎周辺でも、術後の経過観察中に「動かしてよいのか」を迷われる方が多く、そこは医師に確認いただくようお伝えしています。
まとめ
傷口が閉じても引きつれが続くのは、層と層の滑りが戻りきっていない可能性があるからです。腹部の癒着や手術痕への軟部組織モビライゼーション、瘢痕への複数手技を組み合わせた徒手療法については、痛みや可動性、機能との関連を報告した研究があります。ただし対象者数が限られるなどの課題もあり、研究段階の領域です。症状が強いときや経過に不安があるときは、自己判断せず医療機関にご相談ください。
参考文献
本記事の作成にあたり参照した研究論文です(内容は要約・意訳したものであり、原文の直接引用ではありません)。
- Effect of soft tissue mobilization techniques on adhesion-related pain and function in the abdomen: A systematic review(J Bodyw Mov Ther 2019) PubMed
- Soft tissue mobilization techniques in treating chronic abdominal scar tissue: A quasi-experimental single subject design(J Bodyw Mov Ther 2019) PubMed
- Effectiveness of various methods of manual scar therapy(Skin Res Technol 2023) PubMed
- Physiotherapy protocol to reduce the evolution time of axillary web syndrome in women post-breast cancer surgery: a randomized clinical trial(Support Care Cancer 2025) PubMed
よくある質問
Q. 帝王切開の傷あとの引きつれは、何年経っていてもケアする意味がありますか?
A. 瘢痕組織は年単位でも再構築が続くとされ、術後年数が経ってから手技を受けて可動性や不快感に変化があったとする報告もあります。ただし対象者数の少ない研究が多く、個人差も大きい点は押さえておきたいところです。
Q. 腹部の癒着に手技で触れても大丈夫なのでしょうか?
A. 創部が完全に閉じ、主治医の経過観察で問題がない段階であることが前提です。発赤・熱感・滲出がある時期や、強い腹痛・発熱を伴う場合は手技の対象ではなく、医療機関での確認が先になります。
Q. 乳がん手術後に脇から腕にスジが突っ張るのは何ですか?
A. 腋窩ウェブ症候群と呼ばれる状態として知られ、脇から腕にかけて索状の突っ張りが触れます。理学療法プロトコルを用いたランダム化比較試験で可動域や痛みの変化が報告されていますが、まずは手術を受けた医療機関への相談が基本です。

鈴木大樹(すずき だいき)
柔道整復師 / オステオパシー専門校在学中 / 産後リハビリ国際セミナー修了
茨城県龍ケ崎市で妻・佳代とともに整体院を営む整体師。食・自然療法・筋膜のつながりを臨床と学びの中で深め、「なぜ身体はそうなるのか」を発信し続けています。
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